メッセージこれまでの歩み

メッセージ

これまでの歩み

多くの逆境を越え確立した強い経営基盤

ヨコタエンタープライズは2001年10月より現在のアウトソーシング事業に参画致しました。

歩み

事業開始直前には、ニューヨークのワールドトレーディングビルが旅客機2機の衝突により消滅するといった信じられない大惨事が。世界中の人々は何を信じればいいのか理解できない事態となりました。

その後、超原油高やサブプライムローン問題に端を発し2008年には100年に一度などと言われたリーマンショックが到来。一般貨物自動車運送事業開始直後のヨコタエンタープライズの経営を直撃しました。債務超過は当然のことながら、月の売上は半分以下に激減し資金繰りも逼迫し、以後2012年に至る4年間の間厳しい経営を強いられました。
振り返ればバブル崩壊以後失われた20年のまさにクライマックスに生まれ育った会社であったと言えましょう。

これまでの社歴は13年、幾度と到来する障害の数々。社員一同が一丸となり乗り越える為の知恵とアイデアを振り絞り2013年には無事資本割れ経営から脱却し、リーマンショックの後遺症を払しょくすることができました。

経営がどん底の時には、金融機関からの借り入れは厳しく金利も高く、トラックは中古しか買えず故障も多く結果コスト高に。結果すべてはマイナススパイラルに。

全力を尽くし一旦黒字に転換し債務超過、資本割れを払しょくすると金利安い、トラックはまとめ買いできる為安く購入できる、修繕費が減り結果的なコストダウン、広告が打てる、良き人材が集まるといったプラススパイラルに。

今では、リーマン直後では想像を絶する経営が実現するに至りました。

ヨコタエンタープライズのルーツ

代表取締役 横田成人が1997年に設立した弊社には、祖父の代から続く横田家のイズムが継承されています。社長室には若かりし頃の祖父 横田種一と父 横田俊男が仕事で活躍していたときの写真パネルがおいてあり、会社の励みと成り、支えとなっています。

横田種一は京都帝国大学(現京都大学)理工学部卒業後、神戸製鋼に入社。写真は1922年、後に社長となって神戸製鋼の発展に大きく寄与した田宮嘉右衛門氏とともに、2年間の世界一周視察を行ったときのものです。
横田種一はこの7年後に43歳の若さで逝去。遺品の中から「起業したい」という意志が綴られたノートがでてきました。

ヨコタエンタープライズのルーツ


この思いを引き継いだ横田俊男は、第二次大戦から帰国後の1948年に「ヨコタ工業(現ヨコタハウス)」を立ち上げました。リヤカー1台で溶接機械を扱う仕事から始めた同社は、工期を大幅に短縮できる「ユニットハウス」を発明し大ヒット。県内でも有数の建築会社に成長しました。この写真は、1961年に全米住宅建設業者協会の専務理事が視察に訪れたときのものです。そんな横田俊男が掲げていた目標が、「自分の会社を上場したい」という思いでした。

ヨコタエンタープライズのルーツ


それら代々受け継がれてきた思いがいま、横田成人に引き継がれています。



ヨコタエンタープライズは無限の創意工夫により、コンプライアンス遵守と利益確保を両立し、
お客様の更なる発展と社員一同の生活水準向上に全力を尽くすと共に
全産業の模範となる企業づくりを創造します。
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